産業保健にとって法は重要な意味を持ちます。健康障害の原因の所在が分かりにくく(タイプによっては健康障害と言えるかすら不明なこと)、紛争に発展し易いこと、ただ民業に任せると、ブランディングや福利厚生以上の位置づけになりにくく、対策が進みにくいため、法制度でリードせねばならないことが主な理由です。
しかし、産業保健の本質は、おそらく法の形式ではなく、人や組織相手の働きかけであり、法も説得材料の1つに過ぎません。とはいえ、裁判例等の「生きた法」は、実践の安心材料となりますし、実践に役立つエッセンスが詰まっています。
この講座では、ルールの作り手と使い手の思いを語ることで、重視すべきルールと後回しにしてよいルールを見抜く、優先順位づけの力の養成に注力します。法に詳しくなることで、ルールにとらわれすぎず、人・組織相手の真剣勝負をして頂くよう図ることが、この講座の狙いです。
講師は全て三柴丈典先生が務めます。各日、講義後に集団(及び対面の場合は個別の質問対応時間を設けます。 3回中2回はオンラインで行いますが、人と情報の交流を重視するため、3回目は対面を原則としたハイブリッドとして 個別の質問対応等は現地参加者の方のみに限定します。
【予定日・開催形式】
第1回 4/15(土)PM ウェビナー
第2回 5/20(土)PM ウェビナー
第3回 6/25(日)PM 集合研修(東京会場)とウェビナーのハイブリッド+懇親会
【講義スケジュール】
第1回 4/15(土)
14:00-14:10 産業医アドバンスト研修会理事長 浜口伝博先生よりご挨拶
14:10-14:50 講座1 (標準40分)
15:00-17:10(途中休憩10分)講座2 (標準:120分)
17:10-17:50 質問対応
第2回 5/20(土)
14:00-15:30 講座3(標準90分)
15:50-17:20 講座4 (標準90分)
17:30-18:10 質問対応
第3回 6/25(日)
14:00-16:10(途中休憩10分) 講座5 (標準120分)
16:20-16:40 協賛社からのご案内(1,2枠) 16:40-17:10 講座6 (標準30分)
17:10-17:50 質問対応
- 第1回の内容 -
講座1
産業保健に関する法律論の基礎
トップスピードで少子高齢化が進む日本では、以前であればアスベストに暴露して中皮腫にかかるのを防ぐ等 業務上の健康障害リスク対策が公共政策の中心でしたが、今やメンタルヘルス対策のように、職場の問題か、本人の問題かわからないようなところにも公共政策が及んできています。
それと足並みをそろえて(というより、むしろ先鞭をつけるようにして裁判所も疾病障害者、とりわけ精神障害者にある意味で優しくなってきています。
具体的には、素因を持つ方を働くことで発症させない、あるいは発症後に増悪させない健康配慮義務であるとか、疾病障害があっても簡単に解雇しないようにする必要性、あるいは障害があっても、それに応じた配慮、就労支援の手助けをなるべくしてあげる義務が、裁判所の当たり前になってきています。中でも強調すべきは 精神障害者に不利益措置を講じる上で、一定の手続きを求めるようになってきていることです。
しかし、法律論には、社会の秩序を作ったり、守る使命があります。職域での疾病障害者対応でも、社内でルールを設けて、病気でなかなか働けないとか、あるいは成績が悪い状態が続くということであれば、休職、降格、解雇等をすると書いておけば強制ができますし、公務員法でも分限処分が定められており、問題行動が目立った公務員について、10年以上にわたって半ば塩漬けにするような措置を取ってきたことが、かえってけじめをつけず、まずかったと述べた判例もあります。
この講話では、このような法状況を踏まえ、パーソナリティや発達に問題を抱える労働 者や、難治性の身体疾患罹患者の就業可能性の判断場面を念頭に、実務で求められる手続的理性について、分かりやすく論じます。
講座2
産業医に関する裁判例~産業医が判例を学ぶ意味~
産業医の先生方が労使双方に信頼され、誇りを持てる仕事とはどのようなものか。産業医が深く関わった 5つの裁判例、諸外国の制度を素材に考察します。
以下の順でお話し、途中で産業医に関する最新の判例情報にも触れる予定です。
1 はじめに
1.1 産業保健をめぐる政策と判例の傾向
1.2 信頼される産業医(誇りを持てる産業医)を考える
1.3 産業医制度が法定されていない国で、事業者が産業保健サービスを利用する理由(UK政府のWEBサイトに掲載された報告書)
2 産業医に関する裁判例
2.1 神奈川 経営労務センター事件 (東京高判平成30年10月11日LEX/DB25561854
2.2 東京電力パワーグリッド事件 (東京地判平成29年11月30日労働経済判例速報2337号3頁)
2.3 NHK(名古屋放送局)事件 (名古屋高判平成30年6月26日労働判例1189号51頁(上告・上告受理申立)
2.4 日本ヒューレット・パッカード(休職期間満了)事件 (東京高判平成28年2月25日労働判例1162号52頁) その後、最3小判平成28年12月20日Westlawで上告棄却され、確定
2.5 ティー・エム・イーほか事件 (東京高判平成27年2月26日労働判例1117号5頁)
2.6 その他の復職に関する裁判例と産業医の役割
3 おわりに~くみ取るべき産業医の行為規範~
- 第2回の内容 -
講座3
パーソナリティに偏りを抱えた労働者の労務管理と法
とある法人で、パソコンスキルはあるが、職務や他のスタッフとの調和が難しい労働者を雇用したところ、ハラスメント訴訟に発展し、その後精神疾患で休職し、病気の症状は改善したが、産業医の判断により、法人が復職を拒否したところ、更に訴訟が生じたというケースを素材として、関連する法律知識をQ&A形式で論じます。
健康情報等の取扱い、復職判定基準、ハラスメント、パーソナリティに問題を抱える労働者への対応方法など、多くの論点に触れる予定です。
1 想定事例と設問の紹介
2 設問への回答例の解説
2.1 裁判所の筋読みについて
2.2 回答例
回答例(1)XがY1を相手方として、雇用契約上の地位確認請求訴訟を提起したら、認容されるか。根拠と共に述べて下さい。
回答例(2)XがY1を相手方として、問1の請求とあわせて賃金や損害賠償の請求訴訟を提起するとすれば、どのような法的根拠によるか、また、その請求は認容されるか。根拠と共に述べて下さい
回答例(3)文中の下線部分に示された以下の行為は合法か。根拠と共に述べて下さいY1が、採用応募者であるXに、直近の健康保険の利用歴と国公立病院での健診結果を提出させたこと。 大学生時代の通院歴とうつ状態の既往歴を、Y1に提出したエントリーシートの既往歴欄に記載せず、採用面接で既往歴を尋ねられた際にも秘匿したこと。③勤務先のNPO法人のパソコン内の保存されていた男性職員の個人情報や、風俗サイトへのログイン情報などを探し当て、内容を抽象化して、職員内での噂となるように、複数人に個別に伝えたこと。 ④上司Y2と同僚Y3がXを無視し始め、団体が主催する懇親会等の行事にXを呼ばず、その懇親会の席で、Y2Y3共に、「Xにはぜひ辞めてもらいたい」と発言したほか、他の職員5名に、「Xとは関わるな」、などと個別に伝えたこと。 (1)Y1らがXへの言動につき、遺憾の意を表明すること、(2)同じく再発防止策を講じること等を条件とする裁判上の和解の後、Y1の職員の殆どがXに口をきかなくなり、上司も殆ど仕事を与えなくなったこと。 Xが参加しないY1の職員会議で、Y2が、Xにつき、これまでの行動を整理したメモを参加者に示したうえで、「人間性に問題がある」、「足手まといなので、退職させて欲しい」などと述べたこと。 Y1の職員会議に参加していたY3が、Y2がY1を誹謗した内容をXに伝えたこと。Xの復職申請に際して、Y1が、就業規則上の根拠規定なく、産業医面談を受けて復職可の判断を得ない限り復職させられないと伝え、産業医面談を半強制したこと。 ⑨産業医Eが、Xと面談したところ、Y1らへの不信と不満を強く述べたことから、「もう少しあなたにあった居場所を考えてみては?」、「少なくとも、ここではないと思います」、と伝えたこと。 ⑩産業医Eが、Xの復職の可否を判断するための面談の後、Y1からの照会に応じ、Xの同意なく、面談の記録内容を示して情報交換を行ったこと。 Y1が、Y1が定める傷病休職期間の満了が近づいていた正社員のXに対して、期間半年間の有期契約、完全請負制、在宅労働で雇用を継続する選択肢を示したこと。
回答例(4)産業医の復職不可判定・意見を根拠に、Xが産業医Eを相手方として、傷病手当金の不支給分(支給可能性のある18ヶ月分のうち既支給の8ヶ月分を除いた分)を請求する訴訟を提起したら、認容されるか。根拠と共に述べて下さい。
回答例(5)本件のような事件の有効な予防(未然防止・事後対応)策について述べて下さい。
講座4
精神障害者・難治性身体疾患り患者の復職と法~メンタルヘルス不調者のテレワークへの復職の可否を含む~
もともと仕事ができなかったり、周囲に迷惑をかけていた労働者が病気で休職した後、 健康状態とは別の理由で復職を拒否され事件化するケースが増えています。そこで、本講演では、生まれや育ち、精神疾患など様々な背景があって、周囲を悩ます労働者の復職判定に関する裁判例を踏まえ、概ね以下の順で適正な対応法を論じます。
1 主に私傷病者に対する国の対応の変化と産業保健者に求められる役割
2 司法の復職判定基準
2.1 職種非限定契約の場合
2.1.1 代表例と補充例 a. 代表例:片山組最判(片山組事件最1小判平成10年4月9日労働判例736号15頁(賃金等請求事件、確定)) b.基準(3)につき、(片山組最判の示唆通り)労働者に特定と申出を求めた例c.基準(3)の特定を使用者に求めた例 d. 障害者雇用促進法上の合理的配慮の趣旨を体現したと思われる例e. 片山組最判3基準に沿いつつ、精神疾患者につき、復職可能性を否定した例f. 片山組最判3基準を若干アレンジしたうえ、「原職務」について解釈した例
2.1.2 補論:片山組最判の復職判定基準は、復職後も有効か
2.2 職種限定契約の場合 a. 代表例:カントラ事件大阪高判平成14年6月19日労働判例839号47頁(1審:大阪地判平成13年11月9日労働判例824号70頁)(賃金等請求事件、上告後帰趨不明)b. 東京エムケイ事件東京地判平成20年9月30日労働判例975号12頁c. ケントク(仮処分)事件大阪地決平成21年5月15日労働判例989号70頁d. 障害者雇用促進法上の合理的配慮義務の履行支援を図る指針(合理的配慮指針(平成27年3月25日厚生労働省告示第117号)第4・1(2)ロ)
2.3 両者に跨がる課題について
2.3.1 復職可能性の判断時点 a. 履行の提供」という以上、復職申出後の改善可能性より、復職申出時点での労働能力を問うべきとした例(関西電力事件大阪地裁民事調停法第17条による決定平成12年5月16日判例タイムズ1077号200頁(地位確認、賃金等請求事件、確定))b. 残業(法定時間外労働)ができなくても復職適性ありとした例
2.3.2 障害者雇用促進法との関係
2.3.2.1 身体障害の例
2.3.2.2 精神障害の例 a. 精神障害者等に厳しい姿勢を示した例 b. 疾病障害者の復職判断を性格傾向等で行ってはならないとした例
2.3.3 主治医と産業医・指定医の見解が相違した場合
2.3.3.1 注目すべき例 a. 産業医の判断の合理性を認めた例 b. 主治医の判断の合理性を認めた例 c. 大学病院の診断の取扱い
3 事件の「筋」の重要性
- 第3回の内容 -
講座5
健康情報等の取扱いと法
京都の祇園や栃木の鹿沼ではてんかん患者とおぼしき労働者による自動車の暴走で、多くの方がなくなり、ここ数年、全国で自動車運転手の運転中の意識消失事案が相次いでいます。
職場内では健康情報プライバシーの取扱いでピリピリして、必要な情報連携ができない事態も増えています。また、社内のずさんな情報管理で、関係者に精神疾患などの情報が知れ渡り、労働者が職場にいづらくなる事態も生じています。この講演では、関係者を悩ますことの多い健康情報の取扱いに関する法律論について解説します。
1 論点と立場
2 本論
2.1 認識すべき実情
2.2 情報取扱いに関する法律論
2.2.1 情報取扱いを制約する法 1)プライバシー権法理 2)個人情報保護法(個情法) 3)刑法第134条・安衛法第105条 4)安衛法第104条
2.2.2 情報取扱いの正当化及び規制を緩和する法 1)法定の健診・長時間労働面接・ストレスチェックやそれに連なる産業医面談、保健指導等から取得される健康情報等の増加 2)判例のメッセージ ①電電公社帯広電報電話局事件最1小判昭和61年3月13日労判470号6頁②京セラ(旧サイバネット工業)事件最1小判昭和63年9月8日労働判例530号13頁③空港グランドザービス(AGS 日航事件東京地判平成3年3月22日労判586号19頁④日本ヒューレット・パッカード事件最2小判平成24年4月27日裁判所時報1555号8頁⑤ティー・エム・イーほか事件東京高判平成27年2月26日労判1117号5頁JAL労働組合ほか(プライバシー侵害)事件東京地判平成22年10月28日労判1017号14頁
2.2.3 行政の情報取扱い4原則
2.2.4 主要な論点:同意の取り方
2.3 日本の産業医制度の法的位置づけと実情
3 おわりに
講座6
産業保健に関する政策の動向
厚生労働省「産業保健のあり方に関する検討会」での議論と今後の政策の方向性について、受講者の方々と共に考えます。産業医業務の焦点の明確化、保健師・看護師の地位向上、衛生管理者の役割の明確化、コラボヘルス、健診機関等の企業外産業保健機関としての活用、関係者・関係機関による健康情報等の適正な活用等が主な課題となる予定です。
【講師について】
近畿大学 法学部
法律学科 法学研究科
教授 三柴 丈典氏
1971年生まれ。1999年に一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。2000年に近畿大学法学部奉職、2012年より教授。専門は、労働法、産業保健法。2011年4月から2021年3月まで厚生労働省労働政策審議会安全衛生分科会公益代表委員。2014年7月衆議院厚生労働委員会参考人。産業保健・安全衛生法に関する著作を多数執筆。2020年8月にUKのラウトレッジで研究書を発刊。2020年11月に日本産業保健法学会を設立し、現在副代表理事。